サイクリングと、「ながら」をやめた春

春。サイクリング始めの季節である。

4月になると弘前の雪は跡形もなく消え、日差しが徐々に暖かさを増してきた。
春が来た、と思っているうちに、もう桜のシーズンである。
以前はGWに満開を誇った弘前の桜も、最近は4月の中頃に咲きほこるようになった。
旦那と2人でサイクリングをするついでに、桜を見に行こうという話になった。

昨年2020年はコロナウイルスが猛威を振るったため、サイクリングをすることすら憚られた。いや、ウイルスを理由にサボっていただけかもしれないが、とにかく1~2回しか自転車に乗らなかった。
今年は去年よりは乗りたい、なまった体を動かしたい、外の景色を見たい。
そんな風に感じるのには、1つ理由もあった。
わたしは最近、「ながら」を意識的にやめるようにしたのである。

「ながら」。
「ながら食べ」とか、「ながら歩き」とかの「ながら」である。
何かをしながら、別の何かをする、というやつだ。
去年までのわたしは、「ながら」が大好きであった。

小さい頃は、テレビをつけながら絵を描くのが常であった。
1人暮らしの短大生の頃は、寂しさからパソコンの動画を見ながらご飯を食べた。
大人になった今も、その癖は変わっていなかった。
今年は歩きながらPodcastを聴いて英語勉強して、疲れた時はゲーム実況動画を音声だけで楽しんで癒しを得た。

そんな生活を続けてきたが、今年になってふと、ご飯の味がしないと思うようになった。
パソコンを見ながらご飯を食べていると、口の中に広がる味の印象が薄れる。
ご飯を食べているんじゃなくて、情報を食べている。そんな感覚に陥って、休憩しているはずなのに神経が一向に休まらなかった。
さらに「ながら」をしているときは、時間の流れが異常に速い。実感がないまま時だけが過ぎていく感じが、余計たちが悪い。

だから、意識的に「ながら」をやめた。
食べるときは、食べることだけに。
書くときは、書くことだけに。
歩くときは、歩くことだけに、可能なかぎり集中するようにした。
それでようやく神経が休まって、1日を過ごしている実感がわくようになってきた。
今まで気付かなかったけれど、周囲にある些細な出来事や、当たり前の風景、沈黙を楽しめるようにもなった。世界は言葉以外の情報で溢れている、と思った。

最近はそんなわたしだから、サイクリングで遭遇する景色も、今まで以上に楽しめると思った。予想は当たった。
まだ冷たい4月の風を切りながらペダルをこぐ。気温とは裏腹にあたたかな色合いで咲き誇る花たち。細い散歩道が整備された川沿い。水が注がれていないカラカラに乾いた田んぼ。目に入る景色が何だか面白かったし、目新しく感じた。
その中でも、1番印象深かったのが公園であった。

旦那が寄り道をしてたどり着いたのが、交通公園という場所であった。
この場所を一目見てわかった。
ずっとわたしが探していた場所だと。

東京から青森にUターンする以前から、時折思い出す公園があった。
大きな赤いタコの遊具があり、近くの通り道には子供の背丈ほどの建物のミニチュアが、並び連なっている。
保育園の頃にそこへ遊びにいったわたしは、「タコ公園」とその場所を呼んでいたはずだ。
しかし公園の場所はどこかと言われると、全く思い出せないのであった。

帰省時に訪れる場所といえば弘前公園やりんご公園ばかりで、目立った観光施設ではないタコ公園を、わざわざ探そうとは思わなかった。
それなのに時折公園のことを思い出す。だから、いつか必ず行きたいなあ、とは思っていた。

そして再会は、寄り道という形で突如訪れた。
黒いSLが佇み、ぽふぽふと花弁をつけた桜が美しい場所だった。
そうそう、SLってあったな、と思い出した。
タコ公園のタコは、今は滑り台だけがその名残をとどめている。
建物のミニチュアだけは、青森へUターン後、図書館の近くへ移転されたのを発見していたが(「あ、タコ公園にあったミニチュアだ」とすぐわかった)、元々あった場所もしっかり思い出した。

急な再会に、何だか形容しがたい気持ちだった。
ここがタコ公園だよ、ミニチュアがあったんだよ、SL変わってないな、などと旦那に話しながら園内を巡った。
「ずっとここに来たいと思ってたんだよね。たぶん、ここが好きだったから」
とふと話した途端、ようやく涙が出た。
この公園が「好き」だとは、時折思い出すときにも意識していなかった。
だってここで遊んだのは保育園の頃だもの。タコ公園を子どもの頃どう思ってたかなんて、思い出せない。
だけど思い出すということは、つまり、そういうことだったんだろう。言語化の大事さを思い知った気がした。

「ながら」をやめて、できるようになったのは、自分の過去や感情と丁寧に向き合うことだ。(完璧ではないもちろん!もちろんね!)
見ているようで見ていない、感じているようで感じていない瞬間が、人にはたくさんあるように思う。気づいているようで、気づいていないことも、たくさんある。
都合の悪いことは気づきたくない小心者だけど、自分の感情にはできるだけ気づいてあげたい。自分に気付くことが、他者の感情に気付く第一歩だとも思うから。

そんなことを思う、春のサイクリングなのだった。



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