過去のブログにコメントが来たことで、大切なことに気付かされた話

こんにちは。たけなみです。
今日は暗い過去の話をします。読みたい方だけ読んでいただけたらと思います。


ブログを書いてはやめ、書いてはやめを繰り返してきた。
そんなブログらは、全てページ自体消したつもりでいたのだが、消し忘れていたブログがあることに、今朝気づいた。
メールの通知で、ブログ記事にコメントがきたと連絡が入ったのだ。
その記事は、過去に自死を選ぼうとした自分の気持ちを綴ったものだった。

わたしは昔、感情の浮き沈みが激しく、0か100かの極端の考え方をしがちだった。
「失敗した。だから生きる価値がない」
「自分という存在がいなくなれば、こんな辛い思いをすることもなくなる」
そう考えては、落ち込むとすぐ死にたくなった。
もちろん直接的に自傷行為をしたりは決してしなかった。
痛いのも、苦しいのも嫌いだったからだ。想像するだけで怖い。
シャープペンの先を肌に当てるのすら怖い。

しかしその記事を書いた当時。
何故そんなに落ち込んでいたかは最早思い出せないが、わたしは餓死を選ぶのはどうだろうという考えにいたって、そして実行しようとしたのだ。
しかし結局わたしの周りには、おかしな挙動をするわたしを心配してくれる人がいた。自死を選んでも死後に苦しみがあるとおしえてくれたHPもあった。お腹がへったところにお腹を満たしてくれる美味しいご飯があった。
当時の愚かな考えは形になることはなく、ただのブログの記事となって、自身の記憶の底へと昇華されたのだ。

しかし今朝、その記事を読んだ方からのコメントが届いていた。
驚いた。
この広大なネットの海の中、自分のどうしようもない経験が誰かに届くことがあること。
時間を超越する、活字の強力な力を思い知らされた。

改めてブログ記事を読み直してみた。
今のわたしにとっては思い出だけれど、その当時は本気で書いていたことがわかる内容だった。
その日の行動や思考を綴りつつ、ブログの最後はこう締めくくっている。

「わたしはコイツよりまだマシだ」と思ってくれたら嬉しい。 

こんな浅慮で軽薄なまま歳を重ねた人間も、

手の平クルクルしながらズルズルと生きているのだ。

 

わたしより真面目で、素直で、

未来ある人々が自死を選ばぬよう、

自分の惨めな有様を文字で残しておくのも

悪くないのではと思ったのだ。


ある方がわたしに「たけなみさんにしか書けないものを書かなきゃ」と言ってくれたことがある。この文章は、当時のわたしでないと書けない内容だと思う。

それだからこそ、いただいたコメントに、今のわたしがどう返信すればよいか、正直迷っている。あれほど逼迫したわたしはもういない。
だけれど、このブログ記事を読んで過去の痛みが甦る。今同じようにもがいている人に、何かコメントを返して、活字の上だけでもわずかな繋がりが持ちたいと思う。だから、何かしらコメントを返すつもりだ。


過去のブログには、痛々しく、浅はかで無遠慮で、自己愛に満ちた人間がそこにいた。
すごく、わたしだった。生々しくて、生き生きとしていた。
その語り口を読んで、なかなかいいではないかと思えた。

ブログを書いてはやめ、書いてはやめを繰り返してきた。
それは自分の書く文章、しいては自分自身に価値が感じられなかったから。恥ずかしかったから。
でも今は違う。恥ずかしい自分も含めて、受け入れようと言ってやれる。
活字で表現することを、これからも続けていきたい。
そうして、今現在もどうしようもなく自己愛に偏ったちっぽけな自分が、誰かと少しでも繋がるのならば、何と幸せなことだろうかと、思うのであった。



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