木村耕一さんが書かれた
「こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り」を読みました。
「こころに響く方丈記 鴨長明さんの弾き語り」を読みました。
きっかけ
読むきっかけは、とある日のこと。
テレビで方丈記が特集されていたのをボンヤリと眺めていると、
国語の教科書でも有名なある名文が映し出されました。
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし
ああ、懐かしいな。
国語の教科書以来、きちんと読もうと思ったことないな、とテレビ画面を見続けていると
方丈記は「日本最古の災害ルポルタージュ」だというではないですか。
方丈記という文字面から自分勝手にイメージして、
徒然草みたいな随筆っぽい話、または自然の偉大さみたいなのを書き綴った内容なのかなと思っていましたが、
まさかそんな真剣味がある話だとは。
俄然興味がわいてきて、さっそく図書館に足を運びました。
原文ではなく、現代語に直され、なおかつ読みやすいものをと考え、
木村耕一さんの本を選びました。
恐怖すること
方丈記は自分の予想をはるかに超えて短い話でした。
原文でもページにすると25ページくらいでおさまってしまいます。
しかしその中には、心にせまる文章があちこちにあります。
それもそのはず。鴨長明は人生の間で、大火災、大飢饉、大地震、遷都、など、一通りの厄災や人災を経験したというのです。その経験から、何一つとして変わらぬものはない、全てのものは無常である、と語ります。
人々の記憶や情報さえも、いつか風化し、失われていくのだと。
川の流れのように、幸せも、悲しみも、時とともに過ぎていきます。水面の泡のように、大切な家も、財産も、人の命も、儚く消えていくのです
自分の話をすると、
自分が今1番恐ろしいことって、月並みですが家族を失うことなのです。
今まで横にいてくれた存在が、ぽっと姿を消したらどれだけ空虚だろう。
今があまりにも幸せで、この幸せがいつかこの身を離れていくことを想像するだけで、皿洗いとかしながら泣いたりします。今も書きながら泣きそうになるくらいですもの。
変化が恐ろしい。年を取るのは怖くないけど、どうか姿を消さないで。
家族と布団にくるまれたまま、安らかな時間がひたすら続けばいいと願っています。
でも頭では、いつか別れがくるとわかっている。
だから、この恐怖を乗り越えるにはどうしたらいいか、その答えが知りたいと思いながら、方丈記を読み進めました。
わたしの答えとは
鴨長明は艱難辛苦の末、50歳で出家し、新たな家である移動式の「方丈庵」を造ります。
方丈庵の広さは5畳半、高さは2メートル程。
「ずっと、ここに住もう」と、場所を決めて建てたのではありません。「ここは気に入らない」と感じたら、いつでも分解して、他の場所へ運べるように工夫してあります。建て直すのに、手間はかかりません。(略)こんな家は、世の中に例がないでしょう。
ある山の中腹に方丈庵を据え、移り住み、自然と共に生活を続けることになります。
しかし、そんな静かで穏やかな生活の中でも、人ならば苦しみは尽きぬもの。
本を最後まで読み終えましたが、最終章は明るい未来を予期させる一文で幕を閉じるのではなく、余命いくばくもないという事実を受け止め、生きてきた人生を振り返り、南無阿弥陀仏と念仏を称える、という終わり方です。
方丈記を書き終える2か月前に、師である法然上人が亡くなったこともあり、鴨長明の心の機微が伺えます。
読み終えた時は、本の中にわたしが求めていた答えがなかったように思えてもやもやとしました。
しかし方丈記はビジネス書などではないのです。
わかりやすい答えを提示してくれるはずもありません。
大体にして提示されたことなんて、提示してきた側の主観でしかないわけです。
わたしなりの答えを、これからの人生で必死で掴みとっていかなくてはなりません。
鴨長明も、鴨長明なりの答えを、人生をかけて探求し続けたのでしょう。
そう感じる文章があります。
どんな豪華な家を建て、財産を蓄えても、(略)あっという間に消えていく喜びであることを知っています。いつまで長生きしたいと思っても(略)いつ死んでいくかわからないことを知っています。だから、儚い命、短い人生を、欲や怒り、愚痴のために、振り回されたくはないのです。家や財産、名誉や地位が、多いとか、少ないとか、そんなことにとらわれずに、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいのです。
丁度、進退を迷っていた些細な事柄もあったからでしょう。
わたしの心がぐわんと揺さぶられたように感じました。
わたしなりの感想
わたしなりの方丈記の感想を書きたいなと思って、こうして文章を書いてきました。
この本を読み、そしてブログを書く為改めて本を読み返した今、
恐怖は克服するものではない、覚えておくことだ、なんて考えてます。
人間はそう簡単に悟りを得れるものでもないし、
得たとしても、それすら諸行無常。変化し続けるものではないでしょうか。
恐怖だって消えたと思ったら、また新たな恐怖が現れるでしょう。
だったらせめて、恐怖に思っていることを覚えていようと思う。
幸せだった出来事を、忘れないように努力する、
恐怖と幸せは表裏一体で、精一杯仲良くお付き合いしていく、そんなものなんじゃないかって思います。
テレビで方丈記は「日本最古の災害ルポルタージュ」と紹介されていましたが、東日本大震災を受けて、今になって再び注目を集めているということでした。
震災を忘れない。
あの恐怖を忘れない。
わたしは大地震の恐ろしさを間近で感じた訳ではないから、今までどこか他人事のように思えて仕方がなかったけれど、
あの幸せを忘れない。
そう読み替えると、
そう簡単に恐怖を風化させるわけにはいかないんじゃないか、
なんて思ったりするのです。
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